真言宗 大聖山普門寺

住職挨拶

 

ごあいさつ

平素は当山、大聖山普門寺にご参詣いただき、まことにありがとうございます。
本寺院は真言宗の寺院であり、高祖弘法大師様のお導きにより開山したと伝えられております。
天正年間は阿弥陀如来様をお祀りする阿弥陀堂として親しまれておりました。が、享保9年(1724年)、美濃の国より来られた乾外和尚により、再建され那賀郡西大井村の廃寺の寺号を以て普門寺と改称したといわれています。
千二百年の歴史のある寺院ではございますが、平成25年の火災により三百年の歴史ある本堂を焼失。
普門寺に従事する者、ましてや檀信徒様の悲嘆は、いま思い返しても胸が締め付けられる思いでございます。

その後、檀信徒様をはじめ寺院関係者様、その他大勢の方々のご尽力を賜り、無事、本堂を再建させていただきましたこと、この上ない感謝の気持ちは、子々孫々まで受け継がさて頂きます。
さて、末法の世といわれる現在、人としての信仰の心は時が経つにつれ薄くなってきていると感じております。昨今は幼児やお年寄りを虐待するような心ない事件、無差別に人を傷つける事件などをニュースにより頻繁に耳にする度にまことに悲しく思います。

一昔前までは『悪いことをすればお化けが出る』とか『バチがあたる』と言っては子供たちを育ててきたものです。それは仏教に限らず、自然と宗教が生活の根底にあったからだと思います。
ですが、テレビ、インターネットが普及し、情報の攪乱するこの世の中では、正しい物を取捨選択するのが非常に難しくなっていると感じてきております。もちろん宗教を選択することこそが正しいといった意味ではございません。

しかし、古き良き日本では、お食事前には、食べ物に対しては、命を『いただきます』や、本来ならあり得ることもなかった感謝にたいして『有り難う(ありがとう)ございます』といったような事を自然と身に付けられるように出来たと考えております。そこには物や人、他の生き物に対しての敬意と感謝の気持ちがあったのではないかと思います。
そのような宗教のいいところを、これからもう少し理解していただくには、まずは仏教、お寺、お坊さんに興味を持って頂くことが重要だと考えております。

当寺院に限らず、身近な寺院にお参りの際にお坊さんを見かけましたら、まずはお声をおかけください。人と人とは響き合って生きていくものであることを再認識いただき、お墓、あるいは本堂に参拝していただき、少しずつでも仏教にふれあっていただけたなら、ゆくゆくは家族に優しく、ゆくゆくは他人にも優しく生活を送って頂けると頂けると信じております。
最後になりましたが、これからも当山、真言宗大聖山普門寺をどうぞよろしくお願いいたします。合掌