真言宗 大聖山普門寺

寺院紹介

当寺院について

山号は大聖山。院号は遍照院。旧名草郡山東荘口須佐村の北西の山麓にあり、当初は真言律宗で、古くは須佐神社の本地堂であったが、神社を唯一のものとして改めた際、この地に遷して阿弥陀堂となる。
享保9年(1724年)、那賀郡西大井村の廃寺の院号を以て普門寺と改称した。(参考文献:紀伊続風土記)
平成25年1月23日、火災にあい本堂を焼失。檀信徒様をはじめ、須佐近隣の方々、霊園の参拝者様、そして寺院関係者様、その他大勢のご尽力を賜り、新しく本堂を再建させていただきました。これもひとえに皆様方、そして御仏のご加護のおかげであることを胸に、
これからも一層精進して参りたい所存でございます。

御尊像紹介

大随意求十一面観世音菩薩

当寺再建の際、造像された当寺院の御本尊様でございます。火災によって焼失した本尊・十一面観世音菩薩様と、衆生の求願に随い施し与えるといわれる大随意求菩薩様が一つとなり、当寺院の御本尊様とされています。

大聖不動明王

密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされています。憤怒の形相で魔を絶ち「お不動さん」の名で親しまれております。我々のために苦行に耐えている形相だともいわれ、真言宗では大日如来の脇侍として、弘法大師様と同じく祀られています。

宗祖弘法大師

1200年経った現在も、宗派を問わず、宗教を問わず人々に「お大師さん」と親しまれ、愛され続けている真言宗の宗祖、高祖弘法大師様でございます。

熊野街道

「平安時代中期ごろから、熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになると、法皇・上皇などの皇族、女院らの参詣(熊野御幸)や貴族の参詣が相次ぐようになった。」とあります。これは普門寺で行われていた阿弥陀様信仰もとても親しみ深いものに感じます。当寺の飛び地ではありますが、地元の檀家さん達が管理してくださっているお地蔵さんの祠にも熊野街道の案内があります。
おいでになられた際には、ぜひお寺にもお立ち寄りください。※最後の写真は熊野の磨崖仏です。

山門

なかなか古風で個性的な山門になります。すぐ上方には大きなサルスベリの木があります。その名の通り皮がツルツルで、一目でそれとわかる木です。独特な皮ですが、なんともきれいな花を咲かせるので季節が合えば是非にお立ち寄りください。